2017年
あけましておめでとうございます。
2017年、母と犬と私で無事に迎えられました。
2016年の3月、主治医から、
夏を越せるかわからないと言われました。
その夏を過ぎ、秋を過ぎ、冬に入り、年を越せた。
3月の寒い時期に、母の衣類を見て夏服は着られないのかもしれないと思った。
夏には、冬服は着られないかもと思った。
それが夏服も冬服も着ることができた。
これが最後かもしれないと思って過ごすようになったのはいつからかな。
無事にお正月が一緒に迎えられて本当によかった^ ^
母は頑張って台所にきて、私は母のアドバイスをもらいながら筑前煮を作る。
少し目は虚ろだけど、私が忘れてたこんにゃくを母が思い出してくれる。
わからなそうなのに、ちゃんと理解をしてくれていることもあって少し安心する。
年越しそば用に用意してた柚子を忘れてたら、ゆずゆず!と言ってくれる。
二泊三日の外泊だったけれど、私の名前をたくさん呼んで、ありがとうと大好きをたくさん伝えあって、抱き合って、手を握り合った。
十分に幸せな、なんてことない平和で穏やかな年越しでした。
ありがとう。大好き。
30日から外泊。
病院に迎えに行って、帰りにスーパーに寄って買い物。今日は一緒に行くと言って、車椅子で。ちょうど10ヶ月ぶりのスーパー、一緒に行けてすごくすごく嬉しかった。
一緒に食材選んだり、ああだのこうだの言いながら過ごす時間が私達には当たり前じゃないなら、とても貴重だった。
今年1年間は、本当にきつかった。
3月から動けなくなって、ベッド上での生活になった母。
少しずつできることが減っていくこと、それに対する母の苦しみ、死への恐怖。
痛み、嘔吐、副作用に耐えながら、這いつくばって毎週の化学療法に通ったね。
延命のはずの化学療法、放射線の副作用に命を奪われそうになったけど、一命をとりとめて頑張ってくれたね。毎週の採血、点滴、痛い思いばかりだったよね。
制吐剤として内服してた薬によるアカシジアでは、精神状態がおかしくなってしまった。
あの時の虚ろな目や表情は娘として受け入れるのが大変でした。
死にたいという言葉の裏には、生きていたいのにもう先がないことに対する悲痛な思いがある。
不眠になった時もすごく苦しそうだった。
よく頑張ったと思う、本当に。
病気が
薬が
人が
言葉が
環境が
人を殺し、また人を助けるものでもある。
母を助けてくれた人に、強く感謝します。
ありがとうございました。
夏をとおに過ぎた。母はまだ隣にいてくれてる。本当にありがとう。
ママは〇〇ちゃんが大好きだな〜
私も〇〇ちゃんが大好きだよ!
と伝えられる毎日、伝えられる関係であることに深く深く感謝します。
昨日願ったのに。
今日の母は、熱が38.3℃あり、辻褄の合わない発言が目立つ。
悲しさ寂しさ苛立ち色んな感情が私を襲って暗くする。
なんだかいい日
一緒に泣いた日
午前中から、どうしようどうしようと不安の訴えが強くなる。
レスキューの痛み止め、抗精神病薬を飲んでもらうが効果なく。
昼食後に抗不安薬を飲む。
入院したいと言うため、話を聞いていると、どうしたらいいかわからないと涙を流し始める。
最近になって少し泣くようになったけれど、母はいつだって気丈に涙なんて流さず一生懸命に生きてきた。泣きたいときも歯をくいしばってやってきた母だからこそ、今泣きたいなら泣いて感情を押し殺さないで欲しいと思っていた。
運動会に行きたかった。お弁当作りたかった。って泣きながら言った。
甥っ子の運動会かと思っていたら、まだ結婚もしていない私の子供の運動会のことだった。
私はとても愛されて育ってきたと思う。
厳しく、時に優しく。人に迷惑をかけないよう、心優しい人になるよう、人に恩恵を与えられる人になるよう、育ててもらった。
いい子に育ててくれてありがとう。お母さんが私をいい子に育ててくれたから、私はいい人に出会えるはずだって泣きながら言った。
母は私に本当にいい子に育ってくれたと泣きながら言った。2人して泣いて、ありがとうの気持ちを伝え合えたのはよかったと思う。
母が感情を出せる場所があればいいんだけだけど。
せん妄
入院中に、私の誕生日がやってきた。
母は今月の初めに自分でノートに11月のカレンダーを書いて、そこに甥っ子と私の誕生日を赤ペンで目立つように記した。
今回の誕生日は母と過ごせる最後かもと思い、休みをとった。
ケーキを買って、お昼過ぎには病院に到着。
眠そうでウトウトしてるけど、車椅子でデイルームに行こうと誘うと、うん、と。
デイルームでケーキを食べるか聞くと、食べると言うので、出す。寝ながら食べる母。半分もいかずに完全に寝てしまう。ぼーっとしていて会話もままならない。
結局半分くらい食べたね。
ベッドに戻り、すぐに眠った。
あ〜眠れてよかったなと、一安心する。
それでも睡眠が浅く、夕方には起きてしまう。
眠いのに眠れない辛さを毎日毎日常に味わっている母。
母が寝てしばらくしてから、私も少し休憩しようと別室にいた。起きてないか見に行くのをちょこちょこ繰り返し、夕方にまた見に行った時に、ちょうど回診だった。
私はカーテン越しに話を聞いていた。
手足に力が入らないのは、薬でなおるんですか?の問いに医師は曖昧な返事をした。
その曖昧さに不安と苛立ちと悲しさを感じている母はすごく苦しそうだった。
がん患者とその家族は、最期までもしかしたら奇跡が起きて治るんじゃないかと希望を持っていると思う。
その感情に対してどう言葉をかけるか、とても難しい。
そして、廊下で医師の話を聞いている最中に、ベッドサイドで看護師さんに
どうやって諦めればいいの?と聞き涙を流していた。
その言葉で、頭を石殴られたような衝撃と、吐きそうな胃の気持ち悪さが襲ってくる。
医師は、せん妄という意識障害だと話す。
もしかしたら脳に転移しているかもしれないと言う。
今日は、会話がほとんど成立しなかった。
トイレに行った少しの時間に対して、どこに行ってたんだとひどく怒る。
あの人の面接だよ、あそこがなんだっけ
狭い意識の中で、現時点の思いではなくて、これまでの気になっていた出来事がごちゃまぜになって全てが現時点の出来事になっているような。混乱しているんじゃないかな。
そこに、自分がわけがわからなくなっているという気持ちがないことを願いたいけど、きっとあるんだろう。
脳転移だったらどうしよう。
この日はなかなか帰る気持ちになれなくて、22時くらいまで、母の隣でぼーっと付き添ってた。
毎年、誕生日にはメールとケーキとプレゼントをくれていた母は、カレンダーに赤く記した誕生日を忘れてしまっていた。